浮世絵で見る江戸・日暮里

第4回 日暮里寺院の林泉〜その2

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:荒川なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

お庭を開放した名君

それじゃあ、大名のお庭って何の為に作ったの? みんなが見られないんじゃ意味無いじゃん。

おおかたは遊び、接待、散策…。中には武術訓練ていうのもあったけど、要はステイタスシンボルですよ。特権階級の誇示だな。だから、各大名が競い合って、他家より立派な庭を造れっていうことで、日本の造園技術は江戸時代に飛躍的に進歩するわけ。

そういう贅沢なお庭を、庶民に開放しようっていう立派なお殿様はいなかったの?

いたよ。例えば寛政の改革で有名な松平定信ね。老中首座の職を退いてからは「楽翁」と名乗って白河藩の藩政に専念する。この人は、幕政に関しては毀誉褒貶の激しい人だけど、藩政については文句なしの名君として領民に慕われていた。その善政のひとつが南湖公園だ。

えっ? 江戸時代に公園があったっていうこと? さっきは明治からだって言っていたじゃない。

当時は公園とは言わなかった。公園というのは、公共の施設だろ。南湖は公共の施設じゃなくて、藩のお庭なんだけど、定信の、身分に関わりなく誰もが楽しめる「士民共楽」という考え方のもとに開放されていたんだ。

へぇ〜、やっぱりそういう考え方って、当時としては珍しかったのかな。

異例中の異例だね。但し、それは民主主義的発想というよりは、極端な言い方をすれば、共産主義的と言った方がいいかもね。寛政の改革は、近代の資本主義的発想で財政改革を進めた田沼意次に対して、共産主義的発想で時計の針を戻した定信っていう感じだだからね。

う〜ん、言ってる意味が良くわかんない。


要は、田沼意次は進歩的過ぎたということかな。経済を自由化して民間の活力に委ねようというやり方だ。でも、今の中国を見ればわかるだろ。共産主義の国にいきなり資本主義を猛スピードで持ち込んだから、急成長はしたけど、市場は大資本に独占されて賄賂も横行するようになった。加えて都市部と農村部で貧富の差が激しくなり、農村部が荒廃した。それと同じ事が江戸時代の日本で起こったんだよ。で、それを変えようとした松平定信の施策は、国家による統制経済だ。全ての国民に等しく倹約を強いて、国家産業の基本を農業と定め、経済格差を埋めようとした。しかし、それに伴って厳しい言論統制や諜報活動までやったから、悪く言えば旧ソ連時代のスターリンみたいになっちゃった。

あはは。ますますわかんない。



要は、どちらも良い面と悪い面があるということさ。まぁ、この話は止まらなくなりそうだから、このへんで止めておこう。引退後の松平定信は、かつての倹約家はどこへ行ったのかと思うほど、カネのかかる庭園作りにのめり込んでいる。特に江戸では、豪華な庭を3つも造らせた。

それって今でも残っているの?



残念ながら残ってはいない。大塚にあった「六園(りくえん)」と深川入船町にあった「海荘(はまやしき)」、築地にあった「浴恩園」ね。特にこの「浴恩園」がゴージャスで有名だったらしいよ。

ゴージャスって、どんなお庭だったのかなぁ?


場所はちょうど浜離宮の隣で、今は築地市場があるところだ。「春風の池」「秋風の池」という大きな池が2つあって、浜離宮同様、海水を取り入れる「汐入の池」だったらしい。ちょっとわかりずらいけど、絵も残っているんだ。

あ〜、確かに大きな池が2つあるわね。お花も咲いていて意外にカラフルな感じ。

名園の誉れ高い場所だったけど、文政12年の大火で全焼して、跡地は幕府の講武所、軍艦操練所になった。その関係で明治以降もずっと海軍関係の施設が建てられたんだ。「浴恩園」にあった築山は、海軍省の旗を立てる為に使われたから、築地場内にある水神社に行くと、「旗山」という碑が残ってるよ。

でも、その「浴恩園」も限られた人しか見られなかったんでしょ。他にもお庭を開放した殿様はいなかったの?


江戸は幕府のお膝元だから難しかっただろうけど、自分の領地ならどうにでもなるからね。同じく奥州の雄藩、仙台藩には「桜の馬場」と呼ばれた藩直轄の馬場があって、ここも開放されていたらしいよ。名前通り桜の名所で、春は特に賑わったらしい。

へぇ〜、その時の殿様は誰なの?



正宗の曾孫にあたる伊達綱村だ。この人はわずか2歳で家督を継いで、その後有名な伊達騒動に巻き込まれて毒殺までされかけた。でも、成人してからは名君と呼ばれるようになったからね。そういう意味で波乱の人生を歩んだ人だ。

そのお庭は残っていないの?



残っているよ。今の榴ヶ岡公園だ。ワタシは若い頃、仙台に赴任してこの公園のすぐ近くに住んでいたけど、今でもしだれ桜の名所として有名なんだ。

蔵三さんにも若い頃があったのね。



当たり前だろ!昔からハゲてたわけじゃないんだ。それはそうと、キミがいろんな事を聞いてくるから、今回は日暮里とは全然関係ない話になったじゃないか。次回からはもっとマジメにやらないとね。


←南湖公園の蓮(福島県白河市)
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